# 光州と釜山のビエンナーレ、街の既存空間へ広がる鑑賞

- 媒体: Andown（行灯）— そこにある光
- URL: https://andown.space/luan-shixuan-reviews-the-16th-gwangju-biennale/
- 公開日: 2026.10.02 / 更新 2026.10.18
- 著者: Andown
- 時間軸: 兆しの初動（数ヶ月〜1年）
- テーマ: ビエンナーレ以後（https://andown.space/topics/after-biennale/）
- フック: 展示室の外に残る街の手触り

> 光州では韓屋や歴史的住宅がパビリオンとなり、釜山では使われなくなった高校が展示会場になった。Artforumの批評から見えるのは、大型展の鑑賞が都市を歩く経験へ広がる兆しだ。ただし、場所の魅力だけで歴史や政治との距離が縮まるわけではない。展示の主題と、それを支える空間の関係をたどる。

## 展示を見に行くことが、街を歩くことに

国別の看板をめぐる対立と、街の建物を巡る楽しさ。その両方が、今回の光州にはあった。Artforumに寄稿したルアン・シーシュアンは、台湾パビリオンの名称変更と復元、それに続く中国の撤退を記す一方、韓屋や歴史的住宅を転用した会場を訪ねる経験を、都市探索として肯定的に捉えている。

釜山ビエンナーレでも、展示は専用の美術空間に収まらない。特徴的な会場として挙げられるのは、影島にある使われなくなった高校だ。教室や建物の独特な雰囲気に、作家たちが素材や造形で応答する。作品を見る行為に、場所を読み取る行為が重なっていた。

兆しは、使われなくなった建物の利用そのものより、会場のあいだを移動し、残された空間に出会うことが、展覧会の評価に入り込んでいる点にある。国別展示という枠組みが揺れる一方、鑑賞者の足元では、街との接点が生まれている。

## 反復する展示と、動かしがたい歴史

ただし、場所を広げることと、展覧会の構造を変えることは同じではない。第16回光州ビエンナーレの題名は「You Must Change Your Life」。ホー・ツーニェン率いるキュレーション・チームは、一定の間隔で繰り返す芸術実践を、変化を制御し、あるいは導く技法として位置づけた。

その反復を、筆者は必ずしも変化の手応えとして受け取っていない。日本の作家ササキ・ケンによる約60点の日用品の絵画、ゴールディン+セネビーのレゴ型の歩数計、繰り返し現れる済州島の火山石。これらは筆者の目には、自律した作品よりも、展示空間の道案内に近づいて見えたという。これは展覧会の客観的な結論ではなく、配置の方法に向けられた批評である。

さらに光州には、1980年の民主化運動である5・18蜂起の記憶がある。学生の抗議に始まり、軍事政権に弾圧された歴史だ。筆者は、その継承を避けられない責任と認めつつ、社会の基盤となった物語ほど別の角度から扱いにくいと指摘する。会場や表現が変わっても、何を語り直せるかという条件は残る。

## 場所の転用から、関係の組み替えへ

対照的に、アマル・カラフとエヴリン・シモンズが企画した釜山の「Dissident Chorus」は、音の回復力と抵抗の可能性に焦点を絞る。筆者は光州と比べ、感覚に届きやすく、より直接的に鑑賞できる展覧会と評価した。歴史的負荷が軽いという見方も、あくまでこの批評における比較である。

旧高校では、ジャンツァンホロル・エルデネバヤルが、人工毛皮などで覆った椅子のような彫刻を教室に置いた。ファティマ・カリーム・カーンのインスタレーションは、コーンフレークを軸に、毛髪、刺繍、紙の作品を組み合わせる。建物は単なる背景ではなく、素材の違和感や身体感覚を受け止める条件になっている。

今後の広がりとして考えられるのは、会場数の増加より、場所と作品の関係をどう組み立てるかという問いの深まりだ。ただし、出典は次回展の計画や運営の持続性までは示していない。使われなくなった建物への関心を、筆者自身も都市探索や時間旅行の小さな感覚と結びつけて問い直している。魅力的な場所が、そのまま新しい展覧会の仕組みを意味するわけではない。

## 日本から見ると、移せるのは建物だけではない

日本からこの動きを読むとき、出典が示していない国内の芸術祭との優劣を置くことはできない。むしろ注目できるのは、光州と釜山という近接した事例でも、街の建物を使う意味が異なる点だ。光州では国家の表象や民主化の記憶と接続し、釜山では音や素材を通じた感覚的な経験として論じられている。

光州の主会場前の広場には、200人の国家指導者による謝罪映像を集めたジェームズ・T・ホンの《Apologies》も投影された。台湾パビリオンをめぐる騒動と並んで見ると、筆者には皮肉に映ったという。展示室を出ることで、作品は街の空間だけでなく、同時代の出来事とも隣り合う。ビエンナーレの次の形を考える手がかりは、その接点にもある。

## 要するに

- 光州と釜山では、歴史的住宅や旧高校がビエンナーレの鑑賞空間になっていた。
- 街を巡る体験の広がりと、歴史や政治を語り直す難しさが同時に見えていた。
- 既存空間の転用が何を変えるかは、作品と場所の関係のなかで問われている。

## 出典（エビデンス）

1. [論評] Artforum「Luan Shixuan reviews the 16th Gwangju Biennale」 (2026-10-03) https://www.artforum.com/columns/on-site-seoul-to-the-16th-gwangju-biennale-luan-shixuan-1234760630/
   > "In this edition of the biennale, we consider artistic practices as techniques—repeated at regular intervals—either to control or to conduct change."
   > 訳: 今回のビエンナーレでは、芸術実践を、一定の間隔で繰り返され、変化を制御するか、あるいは導くための技法として捉えている。
   確認日: 2026-10-18

## 用語

- **インスタレーション** / Installation art: 物や映像、音などを空間に配置し、その場での鑑賞体験を組み立てる美術表現。個々の物だけでなく、配置や観客との距離も作品の意味に関わる。 https://andown.space/glossary/installation-art/
- **キュレーション** / Curation: 作品を選び、調査し、配置や解説を通じて観客との関係をつくる実践。美術館では、何をどの視点から伝えるかという判断と、その責任も含んでいる。 https://andown.space/glossary/curation/
- **ビエンナーレ** / Biennale: 原義は「2年ごと」。現代アートでは隔年開催の国際展を指すことが多く、作品の発表に加え、選考や運営の制度も表現の条件に関わる。 https://andown.space/glossary/biennale/

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