1–3 YEARS · シーンと言説の潮流AIと作家性

描く主体を、いったん手放す

ヤナ・オイラー、AIを道具でなく想像力にする絵画

AIを使って絵を出力するのではなく、自分がAIであるかのように描く。2026年1月のArtforumで、ヤナ・オイラーは制作中のそんな態度を語った。2025年に完成した14点が並ぶ個展から見えるのは、技術の導入とは別の変化だ。AIという存在が、人間の手仕事や作家性を考え直すための想像力になっている。

クリーム色の背景に、筆を持つ抽象的な手と、その隣で輪郭がほどけていくコバルトブルーの円を配した平面的なイラスト。

AIに描かせるのではなく、AIのように描く

2026年1月、ニューヨークのGreene Naftaliで開催中のヤナ・オイラーの個展「The center does not fold」には、2025年に完成した14点の絵画が並んだ。コンセント、カメラ、絵の具のチューブ、ドル紙幣。異なるモチーフをつなぐ発想の一つがAIだった。ただし、Artforumの記事が紹介するのは、制作を任せる道具としてではなく、想像力の一形態としてのAIである。

オイラーは、犬を描くときに、自分がAIであるかのように描くと語る。一方、絵の具のチューブを描くときには、自分がそのチューブになったような気分へ入り込んだという。AIだけが特別な代役なのではない。人間である作者を、制作の中心からいったん退かせる。そのための役柄の一つに、AIが加わっている。

ここで語られているのは、生成AI生成AIせいせいエーアイGenerative AI学習したデータのパターンをもとに、音声や画像、文章などを生成する技術の総称。音楽では作曲、歌声、演奏など、使われる工程によって役割が異なる。用語集で詳しくによる画像出力の手順ではない。「AIのように描く」という発想が、人間の身体による制作をどう動かすのかという問題だ。オイラー自身も、それを価値判断ではなく、作品を完成させるエネルギーを与える考えだと説明している。

14点の違いが、制作の手触りを残す

なぜAIを想像することが、絵画の制作につながるのか。記事の導入は、端末によって共有される経験が損なわれる状況を背景に置く。オイラーも、携帯電話の動画を見続けることには中毒性がある一方、十分な満足はないと話す。ウサギの絵では、視覚的な情報が多すぎて、ほとんど見えなくなるような態度を絵画に持ち込もうとした。

だが、展示は一つの画風に統一されていない。最初の部屋で出会うコンセントとカメラは、片方が暗く、もう片方は明るい。アクリルと油彩、筆とエアブラシエアブラシAirbrush圧縮空気で絵の具などを霧状に吹き付ける道具、またはその技法。筆跡とは異なる滑らかな面やぼかしを作れ、絵画の表面の印象にも関わる。用語集で詳しくという技法の差もある。同じく一つの物を描きながら、自己に接続するコンセントと、こちらが何かを見る感覚を生むカメラでは、鑑賞者との関係が異なる。

絵の具のチューブの作品には、およそ8カ月を費やしたという。制作は次第に混沌とし、完成作を見ると、もはや自分とは関係がないようにも感じる。作者が退くという感覚は、作業時間の短縮とは結びついていない。長く手を動かした結果として、自分だけでは制御できない絵に出会うことでもある。

ドル紙幣を描いた作品は5点ある。大量に印刷するためのものを手で描く、その不合理さをオイラーは意識している。同じモチーフを繰り返すことで、紙幣の再現よりも、絵画そのものが前に出るようにしたかったという。複製可能な対象と、一枚ずつ作る行為。その緊張が、AIを考える展示にも手仕事の厚みを残している。

広がり得るのは、技術よりも制作の語り方

この時点から先の1〜3年を考えると、注目できるのは、AIの導入数ではなく、制作を語る言葉の広がりだ。AIを使ったかどうかだけでなく、AIを想像することが、構図や密度、作者の振る舞いにどう関わるのか。そうした問いが、実際の画像生成とは別に作品論へ入り込む可能性がある。

ただし、このインタビューだけで、美術界全体の傾向とは言えない。オイラーは、AIのように描いたと説明しても、他者が同じように見るとは限らないと認める。制作を動かす発想と、観客に届く意味は一致しない。そのずれを残している点が重要だ。AIという言葉で、作品の読み方まで固定してはいない。

展示空間も、その開かれ方を支えている。構成は3つの部分からなり、中央の部屋を交差点として循環できる。作品、部屋、観客、時間をつなぐ場で、異なる絵が互いの意味を変える。AIについての説明を読むだけでは捉えきれない関係が、展示の中で試されている。

日本から見ると、使用の有無だけでは足りない

日本からこの展示を読む際にも、AI使用作品という分類にすぐ置き換えると、見落とすものがある。記事は日本との制度や制作環境の違いを扱っておらず、普及の比較はできない。読み取れるのは、AIが制作設備として導入される場合と、作家性作家性さっかせいAuthorship作品を誰の表現として捉えるか、作者の意図や選択がどこに現れるかを考える概念。個性的な画風だけでなく、制作の方法や主体の位置にも関わる。用語集で詳しくを揺さぶる想像上の存在になる場合との違いである。

誰が出力したかという問いと、誰になったつもりで手を動かしたかという問いは、同じではない。オイラーの絵画では、作者が中心を退く感覚と、素材に触れ続ける行為が同居している。2026年初めに見えていたのは、AIが絵を代行する話だけでなく、人間が描くことを別の角度から語り始める兆しだった。

この記事は、2026年10月に、当時(2026年1月7日(水))の出典をもとに書いた振り返りです。数字や状況はその後変わっている可能性があります。

EVIDENCE出典

  1. 論評Artforum2026-01-08

    Jana Euler on AI as a mode of imagination in her paintings from 2025artforum.com ↗

    “I could say these things, but it doesn’t mean that someone else will see them.”

    私がこうしたことを言えても、ほかの誰かにそれが見えるとは限らない。

    確認日 2026-10-18

PUBLISHED 2026.01.07 · 著者 Andown · 引用元 Artforum